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多くの日本人が好きな「お風呂」。この「お風呂」という言葉、考えてみれば不思議な言葉である。
風に呂。「風」はおそらく吹く風の意味であろう。では「呂」はどういう意味かと調べてみると、日本や中国で音階をあらわす言葉となっている。どちらも私たちが入っているお風呂とはまったくかけ離れた言葉である。それがなぜお風呂に?
「室(むろ)」が訛った言葉であるという説。つまり風呂とはもともと部屋のことを指していたというものだ。これを唱えたのはかの民俗学者、柳田国男先生。今ではこちらが通説となっている。
もともと日本の風呂はお湯に入るスタイルではなく、蒸し風呂であった。焼いた石に水を掛けたり、浅くお湯を張り蒸気を部屋に充満させたりして、そこに人が入るというものだった。お湯を下から沸かすという方法が登場したのはずっと後のことである。
ではお風呂と日本人というのは、どんな歴史をたどってきたのだろうか?
日本でお風呂らしきものが登場したのは、仏教が日本に伝わった6世紀くらいだといわれている。最初の浴場ができたのは「お寺」。仏教の源であるインドと同様に身を清めるため、沐浴を行なうためのものであったという。
その後、平安時代には公衆浴場があったという記録が残っているが、本格的に人々がお風呂に入り出したのは江戸時代直前のことである。現在の東京は呉服橋あたりに伊勢与一(いせのよいち)という人が、湯屋を開業した。形式は蒸し風呂であった。
その後の記録を調べてみると、どうも二つの流れで今に伝えられてきたようである。その2つとは、銭湯と各家庭で愉しむお風呂である。
銭湯の方は江戸時代を通して蒸し風呂一本でやっていた。しかし、自分の家にこうした施設を作ることは難しい。また、公衆浴場があったのはいわゆる都市部だけであり、多くの人が入れるわけではなかった。
そこで、蒸し風呂の雰囲気に近いものを自分の家でなんとか愉しむために考え出されたのが、お湯に肩まで入る入浴法であった。そう、お湯のお風呂は簡易版、代替品のお風呂であったのだ。
当初のお湯のお風呂は、釜などで沸かしたお湯を風呂桶に移す、という方式であった。その後、風呂桶に鉄の筒を入れ、下から加熱する方法が考え出された。このお風呂が鉄砲風呂と呼ばれるものである。ちなみに関西方面では、大きな鉄釜の底を直接加熱する五右衛門風呂が主流だった。五右衛門風呂の方はその後広い地域で使われるようになり、昭和の時代まで家庭で使われていた。
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